隠喩としての原罪(=人類の始祖であるアダムとイブが禁断の果実を食べる罪を犯し,今日の人間もその罪を生まれながらにして引き継いでいるというキリスト教の思想)の起源は,人間が持つ相反するふたつの性質にあるのではないだろうか?ひとつは,動物に感情移入してしまう傾向であり,もうひとつは動物の肉を食べたがる欲望だ。サーペルは(他の生物種に比べて)大きな脳を手に入れたわたしたちの祖先が直面した道徳上の問題について,次のような説得力のある説明を行っている。「動物に対する高度に擬人化された認識のおかげで,狩猟生活を送っていた人類は,彼らの獲物となるその動物の行動を理解し,共感し,さらには予測するための枠組みを得ることができた。しかし,それらは同時に道徳的葛藤も生み出した。というのも,動物と人類は基本的に変わらないと考えられるのであれば,動物を殺すことは殺人になってしまうし,動物を食べるのはとも食いと変わらないことになってしまうからだ」
ハロルド・ハーツォグ (2011). ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係 柏書房 pp.89-90
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