共産主義やマッカーシズムに与する者たちが体制順応主義を憂慮していたと聞くと,違和感を覚えるかもしれないが,全体主義への反対を公言する者たちが権威主義的な手段を是認することには,さらに強い違和感があるかもしれない。ところが,これは珍しくもなく,その歴史も全体主義の誕生にまでさかのぼる。歴史家レオ・リブフォは,「ファシスト(ブラウン)狩り」という言葉を生み出して,1930年代から40年代における国家転覆を阻止する運動の高まりを評した。この頃,ナチに対する当然の恐怖から,極右の言論と集会の自由に対する制限を求める声が上がったが,こちらは当然とは言いがたかった。そうしたなか,当局は多種多様な人びとをひと括りにし,ドイツに同調する人たちだけでなく,高名な保守派の人びとまでも監視下に置いた。ファシスト狩りは左翼ではなく右翼に向けられたものではあるが,より知名度の高い赤狩りと同じく,手近な脅威を誇張し,ほんとうに凶暴な陰謀者たちと,急進派だが平和的な活動家や主流派の人たちとの区別を曖昧にしている。
ジェシー・ウォーカー 鍛原多惠子(訳) (2015). パラノイア合衆国:陰謀論で読み解く《アメリカ史》 河出書房新社 pp.102-103
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