こう言ったからといって,脳を貶めているわけではなく,まったくその逆である。人間の脳は素晴らしい。人類が成し遂げてきたあらゆること----生存と繁殖から,人間を月に送ったことや宇宙だけでなく脳そのものさえもその秘密を解き明かしていることまで----に対して脳に賞賛を送らなくてはならない。なぜなら,本当のことを言えば,私たち人間は,自然界の中では,校庭にいる,やせこけた眼鏡をかけたおたくに過ぎないからだ。私たちの視覚と嗅覚,聴覚が,捕らえて食べたいと思っている動物のものほど優れていたことは一度もなかった。私たちの腕や足,歯は,えさを求めて私たちと争い,昼ごはんだと思ってときどき私たちを見つめる捕食者の筋肉や牙に比べればいつも貧弱だった。
脳が私たちの唯一の強みだった。脳だけが私たちを自然界の失敗作になることから守ってくれた。脳に非常に大きく依存したため,頭の鈍いものは生存競争に敗れ,頭の切れる者に取って代わられた。脳は新たな能力を開発した。そしてますます大きくなった。ヒト科の初期の先祖の時代と現代人が初めて登場した時代のあいだに,脳の容量は4倍になった。
巨大な脳は深刻な問題をもたらすにもかかわらず,この極端な変化は生じた。巨大な脳は収納するのに非常に大きな頭蓋骨を必要としたため,出産時に女性の骨盤腔を通るとき,母親と赤ん坊の命を危険に曝した。巨大な脳のせいで頭が非常に重くなり,チンパンジーやその他の霊長類に比べて,人は首の骨を折るリスクがずっと大きくなった。巨大な脳は,体全体に供給されるエネルギーの5分の1をも吸い上げた。しかし,これらの難点は深刻なものであったが,内蔵のスーパーコンピューターを持っていることによって人間が得る利益の方が勝っていた。そのため,巨大な脳が選択され,人類は生き残った。
ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.36-37.
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)
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