ジョージ・W・ブッシュが大統領だったころ,政治的パラノイアの象徴としてもっとも頻繁に引き合いに出されたのは,トゥルーサー(truther)と呼ばれた「9・11トゥルース運動」にかかわる人びとだった。彼らはアメリカ政府内の悪人が9・11を計画したが,それを防止する手立てをわざと取らなかったと信じていた。しかし,トゥルーサーはしょせん脇役に過ぎなかった。9・11後にいちばんよく見られたパラノイアは,無害な学校の宿題を聖戦の証拠と見誤るような心理状態だったのだ。アメリカ人は次なる恐ろしい攻撃に神経を尖らせていた。しかもどのような攻撃になるのかを少なくとも知っていた冷戦時代とは違って,いまやありとあらゆる活動や物体が脅威に思えた。
それは,スパイや破壊活動を探した過去に人びとが覚えた不安と同質のものだった。だが現在では,陰謀者を発見できなかった場合の結果は昔とは比較にならぬほど大きかった。なにが武器であってもおかしくないし,なににどのような意味があるのかわからないのだ。
ジェシー・ウォーカー 鍛原多惠子(訳) (2015). パラノイア合衆国:陰謀論で読み解く《アメリカ史》 河出書房新社 pp.376
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