私は,文章リサイクリングまで盗用として扱うのは,行き過ぎだと思う。その理由を以下に記す。
・科学論文は,文学作品でもなければ,ルポルタージュでもない。科学論文にとって何より大事なのは,科学的内容である。文章の一部が一致しているからといって,不正扱いにするのは,本末転倒である。。
・科学論文は,事実を簡潔,明快かつ論理的に記載するべきである。主観的な表現を排し,分かりやすい文章で書くことが要求されている。このため,多くの論文の文章は,必然的に似通ったものになってくる。
・研究は,1つの流れで行なわれる。したがって,研究の意義を説明する序論は,先行する論文と同じような表現を使うことになる。要約,結論は短い数行で正確にまとめるため,同じような文体になる。文体が酷似するのは,科学論文にとって必然の結果である。
幸いなことに,自己盗用への過剰反応については,反省の論調が発表されるようになってきた。ペンシルバニアの化学者,フランクル(Michelle Francl)は,文章のリサイクリングは常識の範囲であれば,許されるべきという主張を展開している。インド出身の物理学者,チャーダ(Praveen Chaddah)も,文章の盗用を理由に論文を撤回するのは,間違いであることを指摘している。
黒木登志夫 (2016). 研究不正 中央公論新社 pp.143-144
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