間違った法則にのっとって地面を掘るとおいしいイモはとれない。しかし,おかまいなしに掘ってもおいしいイモはとれないので,結局どちらでも同じである。つまり,失敗は常につきものなのであって,正しい法則を見つけられれば儲けもの,ということだ。
こうして人類は,過剰に法則をつくるようになったのだ。進化生物学の言葉で厳密に表現すれば,過剰に法則を作る人が現れた集団が食料調達能力を向上させ,その集団が生きのびる確率が高まったのである。
これが疑似科学信奉の起源である。
生き延び続けた集団の末裔である私たちも,過剰に法則をつくる傾向をひきついだ。規則的なパターンらしきものを見出し,その知恵をなるべき早く仲間に伝えようとする衝動を,私たちの多くがもちあわせている。
すなわち,科学と疑似科学はともに先史時代に発祥したのだ。
石井幹人 (2016). なぜ疑似科学が社会を動かすのか:ヒトはあやしげな理論に騙されたがる PHP研究所 pp. 7
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