西ローマ帝国の滅亡による古代文化の崩壊とヨーロッパ全体の混乱,キリスト教の台頭によって,古代ヘレニズムがすでに高い完成度にまで達していた領域のほとんどすべてを壊滅させることによって医学をはじめとする古代文化を人類から遠ざけた。ギリシャ・ローマの医学は行方知れずになった。そして500−600年の間ヒポクラテス以来の伝統はヨーロッパ社会から消えてしまった。ギリシャ精神はキリスト教徒にとって断罪すべきものと思えたので,自らそれを直接知ろうとする道を放棄してしまった。このため古代ギリシャ・ローマ医学は没落し,病理診断は軽視され,薬剤療法が偏重されて民間医療,神秘医療が盛んになった。エラシストラートス一派の瀉血反対論もあったのであるが,ガレノスの堅固な論理と時代の水準を抜いた科学的方法によって構築された不可侵の殿堂ともいえる教義は宗教的な面を持った目的論がイスラム文明とイスラム医学の世界にスムーズに受け入れられて,さらに中世キリスト教会の認知によって権威づけられ,中世,近世を通して瀉血は治療法として全盛期を迎えた。
藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.19-20
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