大学が正規の教育を受けた医師を社会に送り出し,そこに医業という専門職業が独立したことは医学が進み社会的な進歩と見ることができる。ドクトルの社会的地位は貴族に準じ市医は免税特権をもっていた。しかしボローニャのように外科を内科に加え,外科医の資格を正式に認定した大学は例外で多くは外科を締め出してしまった。そして外科医は大学の理論に通暁した医者の命令と監督のもとにあるのが普通だった。
こんな中で15世紀のドイツ・チュービンゲン大学のカリキュラムを見ると1学年はガレノスとアヴィセンナ,2学年はアヴィセンナとラーゼス,3学年はヒポクラテスとガレノス更にアヴィセンナ,マサーウェー,コンスタンチヌス,アフリカヌスであってアラビア医学全盛であった。ギリシャ医書,アラビア化したギリシャ医書を侵すべからざるものとして尊び,科目には占星術も加わっていた。
藤倉一郎 (2011). 瀉血の話 近代文藝社 pp.39-41
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