偉大な科学者や発明家も,問題に対してパズルではなくミステリーとして向き合っている。確かなことよりも不確かなことに魅了されるのだ。物理学者のフリーマン・ダイソンは,科学は事実の集合ではなく「ミステリーを探求する終わりのない旅」であると表現する。アメリカの発明家で音響機器の開拓者として知られるレイ・ドルビーは,この原則がイノベーションにも当てはまることを力説している。「発明家であるためには,不確実性とともに生き,暗闇で手探りをしながら,本当に答えなどあるのかという不安と闘う境遇を受け入れなければならない」。アルベルト・アインシュタインもきっと同じ思いだったのではないだろうか。「われわれの経験で何よりも美しいのはミステリアスなことだ」と彼は述べている。「それが真の芸術と科学の源である」
私たちはミステリーよりもパズルを重視する文化のなかで生きている。学校はもちろん,大学でさえ科学とは明快な答えのある疑問の集合であると考えている。ダイソンならば自分の知らないことについて綿密に,そして粘り強く探求することと定義するだろうが,一般的にはそうは考えられていない。政治家はともすれば教育政策をパズルとみなし,インプット(教育)に対してしかるべきアウトプット(雇用)が創出されることを目標にする。それどころか,彼らは社会のあらゆる複雑な問題を,まるで単純な答えのあるパズルであるかのように提示する。メディアは人生をパズルの連続に変え,番組を見たり,本や商品を購入したりすることで解決されるものに仕立てる(「問題Xを抱えている?ならばYが必要です」)。ビジネスの場でも問題をパズルの枠組みに当てはめることが好まれる。そのほうが,パワーポイントのスライドで簡潔な箇条書きにして提示するのに適しているからだ。また,評価もしやすくなる。そしてグーグルは,すべての疑問には明快な答えがあるという大きな錯覚を後押ししている。
イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.102-103
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