教育の分野においては,好奇心は過小評価されると同時に過大評価されるという不思議な位置に置かれている。学校制度はともすると,学習に喜びを吹き込むことを軽視し,試験や就職に向けた準備ばかりを優先する。それも大事なことではあるが,現在の教育事情に弊害があるのは明らかだ。それから,子どもの好奇心は解き放ってやるだけで良いという先入観にも問題がある。好奇心を解放するだけで素晴らしい知的発見の世界が広がるとしたら喜ばしいことだが,実際はそうはいかない。学校が知識のデータベースの構築を放棄するなら,多くの子どもたちは自分がまだ何を知らずにいるのか知らないまま成長する危険がある。そうなると自分自身の無知に関心をもつこともなく,自分より豊かな知識をもつ——したがって好奇心の旺盛な——同級生に比べて一生不利な立場に置かれることになる。やがては自分が二極化した好奇心の不利な側にいることに気づくだろう——大人たちがそのような状態を食い止めないかぎり,彼らの未来はしぼんでいくしかない。
イアン・レズリー 須川綾子(訳) (2016). 子どもは40000回質問する:あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力 光文社 pp.216
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