柱となる評価基準が一つしかないと,それが脅かされたときに人は身動きがとれなくなります。世界を解釈するうえでの自由度が低くなってしまうからです。
前述したように,この柱となる評価基準は,私たちが世界を見るための“メガネ”のようなものだとも言えます。そしてこのメガネが一つしかないときは,その評価基準の尺度の両端を行ったり来たりする以外に道はありません。
たとえば,あなたが「知的——愚か」という評価基準で世界を解釈している場合,誰かが知的だとは認められないような振る舞いをしたら,その人を「愚か」と認識する以外に打つ手はありません。雪道で立ち往生した車が,タイヤを禅語にスライドさせてさらに溝を深めてしまうのと同じように,「知的——愚か」の尺度を行ったり来たりするだけで,他の評価基準を使って世界を新しい視点で捉えようとはしないのです。
しかし,柱となる評価基準が複数あれば,一つがうまく機能しなくても,“別のメガネ”で世界を解釈することができます。
ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.45
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