「セルフモニタリングは性格のようなものである」という前提は,再考すべきです。
セルフモニタリングが高かろうと低かろうと,たいていの人はさまざまな状況に応じて柔軟に自分を表現するはずです。誰でも,会社の会議を終えて家に帰れば,真面目な自分からリラックスした自分に切り替えるはずです。つまり人は誰でも,社会的圧力や,状況に応じて振る舞うべきタイミングをよく知っているのです。
だからこそ,振る舞いを選択するにあたって,個人の人生観,「人生をどのように生きたいか」が浮き彫りになるのではないでしょうか。
また,セルフモニタリングは「環境への適応」という側面からもとらえられるべきです。セルフモニタリングが高い人と低い人には,それぞれ適した環境があります。
たとえばセルフモニタリングが高い人は,都市部などのさまざまな自己表現が求められる環境には適していますが,伝統的な農村部の生活にはあまり適していません。
農村部では,こうした人は口が軽く,落ち着きのないやっかい者と見なされてしまうかもしれません。このような環境には,セルフモニタリングの低い人が適しているはずです。
ブライアン・R・リトル 児島 修(訳) (2016). 自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義 大和書房 pp.131-132
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