1994年6月27日に,オウム真理教の信者たちが,改造冷凍トラックを運転して松本の住宅街に入った。トラック内でコンピューター制御の装置を作動させる。液体サリンを過熱して蒸気にし,送風機で空気中に吹き飛ばすものだった。風の状態は完璧で,致死性の蒸気の雲は,暑い夜に開け放たれた窓へとゆっくりと運ばれていった。8人が死亡し,140人以上が重傷を負った。
1995年3月20日,オウム真理教は別の方法を試みた。ビジネス・スーツを着て,傘を持った5人の信者が,混雑することで悪名の高い東京の地下鉄網の中心部で5台の別々の電車に乗り込んだ。彼らはサリンがいっぱい入ったプラスティック製の袋を全部で11袋持っていた。袋を床に置き,傘を突き刺して袋に穴を開け,電車から逃走した。11袋のうち3袋が破れなかった。残りの8袋からは4キログラムのサリンがこぼれた。サリンは周囲に広がり,蒸発した。12人が死亡した。5人が致命傷を負ったが生き延びた。37人が重症と診断され,984人に軽い症状が出た。
当局は日本中のオウム真理教の施設の捜索を行ない,発見したものに驚いた。この凶悪な作戦の規模にもかかわらず,大量虐殺手段を獲得するための多くの活動にもかかわらず,何度も繰り返された攻撃にもかかわらず,日本の警察はオウム真理教の施設で何が起きていたかをまったく知らなかった。これ以上ひどいシナリオを想像することは難しい。すなわち,大量虐殺への非常に強い願望を持った狂信的カルトが,大量の資金と,国際的コネクション,優れた装置と実験室,最高レベルの大学で教育を受けた科学者,作戦を追求するための数年間のほぼ完全な自由を有していたのである。それでいて,化学兵器あるいは生物兵器を用いたオウム真理教の17件の攻撃によって,ティモシー・マクベイが肥料と自動車レース用の燃料で作ったたった1個の爆弾を爆発させたときにオクラホマ・シティで死亡した168人より,はるかに少ない数の人間しか死亡していないのである。
「オウム真理教の事件が示唆しているのは,いかに直感あるいは一般的な考えに反するとしても,化学兵器や生物兵器を効果的に兵器化し散布する試みにおいて,どの非国家主体も技術上の重大な困難さに直面することである」とギルモア委員会は結論を下した。こういった試みの失敗を決定づけているのは,宗教的熱狂によって強められる陰謀組織内部の環境であるとギルモア委員会は指摘している。「オウム真理教の科学者は,社会的,物理的に隔離され,被害妄想が進む指導者に支配されていたため,現実から遊離し,健全な判断ができなくなった」
大規模な破壊を夢見るテロリストにとって,これは希望を失わせる結果である。アルカイダやほかのイスラム原理主義者のテロリストは,オウム真理教が持っていた有利な点をほとんど持っていない。そもそも科学者を抱えておらず(アルカイダは教育を受けた優秀な人間の勧誘に努めてきたが,一貫して失敗してきた),このことがオウム真理教の技術的要素の本の一部すら見せていない主な理由である。共有しているただ1つの要素は,オウム真理教の取り組みを駄目にした促成栽培的な環境である。
ダン・ガードナー 田淵健太(訳) (2009). リスクにあなたは騙される:「恐怖」を操る論理 早川書房 pp.340-341
(Gardner, D. (2008). Risk: The Science and Politics of Fear. Toronto: McClelland & Stewart Inc.)
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