武士道とは,第一義に戦闘者の思想である。したがってそれは,新渡戸をはじめとする明治武士道の説く「高貴な」忠心愛国道徳とは,途方もなく異質なものである。
とはいえ,武士道が全く道徳と相いれない暴力的思想であるわけではない。武士道ももちろん,ある種の道徳を含み持っている。だがそれは,一般人の道徳とは大きく異なる道徳である。平和の民にはおよそ想像を超えた異様な道徳。それが,武士道の道徳なのである。
武士道の道徳というと,多くの人が,忠孝,仁義といった儒教的徳目を思いうかべることだろう。忠孝仁義は,江戸時代の武士たちの世界で盛んに唱えられ,明治武士道もまた,忠義・忠孝を核心的概念として鼓吹している。武士道といえば忠孝仁義というのもまた,今日の通り相場になっているように見える。
しかしながら,武士の道徳を儒教的概念体系で説明するようになったのは,長い武士の歴史の中の後ろ半分,徳川太平の世になってのことである。太平の世は,もはや殺伐たる戦闘者を必要としない。平和の秩序の中で,武士たちは,新たに,為政者として天下を統治することを求められるようになる。戦闘者(武士)から,為政者(士大夫)への転身が要請されたのである。
為政者としての武士のあるべきあり方を説くために用いられたのが,儒教的な概念体系である。徳川体制の秩序は,儒教的道徳の実現(人倫の道)と重ねて説明され,統治を担う武士は,道を実現する士大夫に相当するものとみなされる。戦国乱世の戦闘者の思想「武士道」に対して,太平の世が新たに生み出した武士の思想。それが,儒教的な「士道」なのである。
菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.20-21.
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