弱肉強食の世界に生きる動物たちが,体を大きく見せたり,鳴き声,吠え声で相手を威嚇するのとどこか通うものがあるが,実際,実力以上に自己を表現する虚勢も,武士の世界には往々にしてみられた。しかし,一方で表現から相手の実力を正確に見てとる技術,つまりだまされない技術も磨かれていった。今日でいう,情報戦のはしりであり,敵にだまされない力も,武士に要求される大切な実力の1つであった。
いわゆる武士道の,形や威儀へのこだわりも,根本はおそらくこうしたところにある。表に出た形は,そのまま実力のほどを表示し,相手もまた表に出たものからその武士の正確な実力を測り知る。ここから,自覚ある武士にあっては,あらゆる表現がそのまま,溢れ出る威力のあらわれとして統制されていなければならないという観念が生み出されてくる。沈黙も,発言も,身だしなみ,礼儀正しさも,すべてが威の表現であると見る武士道独特の観念は,実力をいかに発動するかという,実力世界の基本中の基本命題にその根源を持つのである。
菅野覚明 (2004). 武士道の逆襲 講談社 Pp.64-65
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