DNA分子は,実在する物体である。だから当然,物体にふさわしい構造を有している。Dナの物理的構造がどのようなものかは,生物学の教科書を見れば明らかである。ところが,この「DNA」なり「遺伝子」といったものを,どのように理解するかという段になると,「健康」と「不健康」,「正常」と「異常」,「可能性」と「宿命」といった事柄についての社会通念が----つまり支配的なイデオロギーが----拭いがたくつきまとうことになる。学術的概念がこうしたイデオロギー的偏向を伴いがちだということを,科学者たちが了解しているならば,それはそれで対処のしようがあろう。ところが残念ながら,学者を育てる教育課程では,科学と社会の密接なつながりを無視して済ませる傾向が強い。「科学は,ふだん当たり前だと思っていることに“どうしてそうなるのか?”と疑問をいだき,その答えを探すことから始まる。とりあえずの答えが出たら,それをさらに問いつめ,その答えをさらに探しつづける。これが科学の発展なのだ」----学生たちは,“科学”がそういうものだと教わり,これを真に受ける。大部分の科学者は,これを信じて疑わない。だから,科学と社会が互いに影響を及ぼし合っていることなど,彼らの眼中にはないし,たとえそれに気がついても,科学----つまり自分たちの営み----こそが一般社会に感化を与えているのだ,と考えたがる。科学者といえども社会的先入観に導かれ,社会通念に即した発想をする,ということを,自分ではなかなか認めたがらないのだ。
ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.49
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