第二次世界大戦まで,英国や米国では有名な生物学者や社会科学者の大多数が,優生学を支援したり,積極的に支援しないまでも,異議を唱えることなく優生学の隆盛を黙認していた。1941年といえば,すでにドイツではナチス政府が優生学の教えにもとづいて障害者・精神病者・異民族の絶滅政策を本格的に実施していた時期である。ところがこの年に,近未来の遺伝管理者会の危険性を警告した『素晴らしき新世界』(1932年)を著した作家オルダス・ハックスレーの兄で,英国の有名な生物学者であるジュリアン・ハックスレーが,「優生学の死活的重要性」と題する論文を,一般向けの評論雑誌に発表しているのである。この論文は,次のように,優生学を手放しで礼賛する宣言で始まっている----「優生学は,多くの革新的な思想がこれまで歩んできたのとまったく同じ王道を,歩みつつある。優生学は,もはや“一時的な酔狂”とは見なされなくなった。いまや優生学は真面目に考察すべき学問に育っている。優生学が緊急に実施すべき政策課題と見なされるようになる日が,遠からず訪れるはずである」。この論文の終わり近くで,彼は堂々とこう宣言していた----「精神的欠陥者たちが子供を持てないような政策を実施することこそ」社会の務めである,と……。彼は「精神的欠陥者」を次のように“定義”した----「自活すなわち他者の援助なしの生活ができないほどに,ひどい精神薄弱をこうむった人間」。この“定義”からうかがい知れるように,ハックスレー博士のような人物でさえ,「優生学」を語るだんになると遺伝学的形質と経済学的功利性をぶざまに混同していたわけである。しかしこうした理論的混乱は,「優生学」の分野ではありふれたことだった。
そんなハックスレーでも,さすがに「人種の“退化的変質(デジェネレーション)”は劣等人種との結婚によって生じるのだから,劣等人種に結婚禁止を課したり,断種不妊化手術をほどこして施設に収容しておくべきだ」とまでは提言できなかった。だが彼は「精神的欠陥」を,まるで学問的に立証された“事実”のような口ぶりで,遺伝的結果だと断言していたのである。なるほど,生活環境が満ち足りた中流および上流階級の子供に「精神遅滞」が現れたとなれば,たいていは遺伝病を疑っても無理のないことであろう。しかし貧困階級の場合には,遺伝的原因を疑う以前に,子供の精神発達の足を引っぱる数多の環境要因----栄養不足,妊婦の過酷な生活,鉛中毒,学校教育制度の不備など----をまず疑うのが,合理的な筋道というものだ。
ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.65-66
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