ハックスレー博士は,たった一人で極論を叫んでいたのではない。20世紀の前半には大西洋をはさんだ両大陸で----つまり英国と大陸ヨーロッパ諸国だけでなく米国でも----「優生学会」が次々と結成され,各地で「優生学博覧会」が盛んに開催された。こうした「博覧会」は,一般大衆に“遺伝的欠陥の恐ろしさ”を教えこむとともに,上流階級には「子づくりに励まなければ“子だくさんの貧乏人”階級に圧倒されて,やがて上流階級は消滅の憂き目に遭う」という“階級的自殺”の危機感を植えつけるために実施されたのである。
ヨーロッパの優生学者にとって,最大の関心事は“上流階級の防衛”であった。が,米国の優生学者の最大の関心事は“白色人種の防衛”であった。たとえば,米国工兵隊の隊長で知能指数検査の声高な推進者だったルイス・ターマンは,1924年に教育関係の雑誌に寄せた随想の中で,そうした人種的不安をはっきりとこう語っていた----
「私たちの社会で,最も才能あふれた子供たちを生み出している家系は,繁殖力が決定的に衰えつつあるように見えます。(中略)現在の出生率がこのまま続いていけば,ハーヴァード大学の卒業生1000人が生み出す子孫は200年後にはわずか56人に減っているのに対し,南イタリアから入りこんできた移民1000人は10万人にも増えている勘定になるのです。」
ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.67
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