読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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貧しい子どもたちの問題に取り組む方法を探そうとするとき,誰もが直面する難題はもう一つある。アメリカ国内では,子供時代が年代に応じて,服のサイズや図書館の本棚のように,小分けにされてしまうのだ。乳幼児はこちら,小学生はあちら,10代の子どもたちはどこかまったくべつの場所,というように。これは研究者にも,支援グループにも,慈善事業にも,役所にも当てはまる。社会政策を例に取ってみると,国全体では,いちばん幼い子供たちの教育は保健福祉省の管轄であり,児童家庭局を通して「ヘッドスタート」などの育児支援プログラムを運営しているのもここである。しかし,幼稚園に入ったとたんに,子供の教育に関する責任の所在は魔法のようにすばやく教育省へ移動し,こんどはこちらが小・中学校の教育までを監督する。同様のお役所仕事的な区分が州レベル,郡レベルでも存在し,ごく少数の例外を除いて,幼児期の育児支援をする部署と学校システムの管理をする部署が協同で何かに取り組むことはないし,連絡すらほとんど取らない。
こうした区分があるのも理解できる。子供時代のすべてを一つの政府機関,あるいは一つの財団が――ましてや一人の教師やメンターやソーシャルワーカーが――一手に引き受けるのは無理である。仕事があまりにも多岐にわたるからだ。しかしこのように分断することのいちばんの問題は,子供時代のあらゆる段階を通じて持続するテーマやパターンが見えなくなってしまうことだ。
ポール・タフ (2017). 私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み,格差に挑む 英知出版 pp. 21-22