遺伝が原因で起きる疾患や障害は,現実には比較的少ない。そのなかで“医学的手段によって発生が予言できる”ものとなると,さらにぐっと少なくなる。私たちや,胎内の子供たちが出逢う危険の大部分は,実際には“生物学的原因”とは到底言えないものである。たとえば都会に住んでいれば交通事故や犯罪に遭ったり発癌物質や毒物に曝される危険性はきわめて高い。都会住まいで,子供に自転車遊びを許しておけば,それによって子供の命が危機に曝される可能性は格段に高くなる。“自分の家系に特別な疾病遺伝子が受け継がれている”などという事実を知ろうが知るまいが,都会住まいの人間はこうした“異常な危険性”を無自覚に引き受けているわけだし,出生前検査で発見できる遺伝病の類いよりも発生率や損害は大きいわけである。さらに,出生前検査で“異常”が発見できる病気であっても,検査でわかるのは「問題が生じる可能性が高い」という“雰囲気”だけにすぎず,「生まれてくる子供の障害が軽微ですむか重度になるか」という大事な点は予測がつかないのが現実だ。
にもかかわらず,米国の富裕層の女性たちの間では,“予言的”な検査が通常の出生前医療サービスの一部になっている。じつをいうと,そうした検査は製薬会社・病院・開業医のお決まりの収入源になっているのだ。さらに,医者は“医療過誤”で患者から訴訟を起こされるのが怖いので,職業的な予防線を(患者に対して)張るために,特に必要がない場合でも患者に検査を勧めるのが習いになっている。
ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 Pp.91-92
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