“遺伝子差別”の根底にあるのは,「ああいう連中は生まれてくるべきではない」という社会通念である。「ああいう連中」が何を指しているかは,それぞれの文化や社会によって異なるだろう。差別とはそういうものなのだから……。「奴隷解放の父」として名高い第16代米国大統領エイブラハム・リンカーンは「マルファン症候群」だったと考えられている。「マルファン症候群」は,手足が異常に長くなり眼球の水晶体や大動脈などに異常が認められる“優性”形質の遺伝病である。遺伝学者たちはもっか,「マルファン症候群」の発症を“予言”できる出生前検査の開発にいそしんでいる。歴史に“もしも”は禁物だが,もしも19世紀の初めにも現代のような“障害児の発生予防”に社会全体が熱狂し,科学的“予言”が大流行していたなら,リンカーンは生まれていなかったかもしれない。リンカーンを生むことのなかった米国に,今日のような社会的進歩があったかどうかは,まことに疑わしい。
ルース・ハッバード,イライジャ・ウォールド 佐藤雅彦(訳) (2000). 遺伝子万能神話をぶっとばせ 東京書籍 p.99
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