読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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日本と米国の教員たちの研究環境を比べるうえで,入試業務の有無は大きな違いである。私は東大の教員になってはじめて,センター試験の監督が大学教員によって担われていることを知った。気の毒なことに,定年を控えた大先生も駆り出されることが多い。朝8時に試験会場に集合し,秒単位で時計を合わせ,監督リボンを胸につけて,お茶をすする。1月末の大学校舎はどこも寒い。「どうか怪しい動きをする受験生がいませんように」「機材などが正常に作動しますように」と祈りつつ教室に向かう。
そこから丸1日もしくは2日間,もくもくと監督業務をこなし,「答案が足りない」などトラブルで足止めにならないことだけを祈って解散の声を待つ。
監督業務は大学教授でないとできない仕事ではないし,入試にある種の威厳が必要であるとしても,受験生の大部分は監督が教員であることを知りもしない。出題や採点の担当になればもっと拘束される。
入試以外でも,たとえば留学生や訪問研究員を海外から受け入れる際など,大学教員にはさまざまな業務がある。図書館にどのような雑誌を入れるとか,どの雑誌を購読中止にするか。各種の競争資金への応募書類の作成,学会投稿論文の査読,学生の論文審査や推薦状の作成など,案外バカにならない作業が累積して研究にあてるべき時間を奪っていく。
佐藤 仁 (2017). 教えてみた「米国トップ校」 KADOKAWA pp. 156-157