問題解決に必死だった教区会は,新しい機械に大いに関心を持った。1870年代半ばに初めて開発され,マンチェスター,リバプール,リーズといった工業都市ではすでに使われていた廃棄物焼却炉,つまり巨大焼却炉だった。ロンドンでも,一部の自治体や請負業者はすでにごみを焼却処分していたが,たいていは,ゴミ置き場でたいして大きくもない炉を使うか,戸外でごみの山に火を放つのが関の山だった。ところが廃棄物焼却炉なら,一日に24トンのゴミを焼却して,4トンの不活性の「燃え殻(クリンカー)」に量を減らし,それを道路工事などでバラストとして使えた。そのうえ,設計次第で,家庭のごみだけでなく,道路清掃で出るごみや「下水路の残滓」まで償却できた。LCCの1892年の調査では,早期に燃焼実験をした自治体が明らかにされている。先駆けとなったのはホワイトチャペル地区で,1876年に「フライヤー式」廃棄物焼却炉(アルバート・フライヤーが1874年に原特許権を取得)を購入し,続いてマイルエンドが1881年に,シティ・オブ・ロンドンが1884年に購入した。やがて1888年には,バタシーとハムステッドが初めて地域のすべてのごみを焼却処分し,1892年にはウリッジが後に続いた。焼却処分の大きな利点はごみの減量で,その結果,輸送費も削減できた。欠点は施設建設への高額な投資で,自治体の中心部に建設しなければならないことも難点だった。廃棄物焼却炉の煙突から出る悪臭と煙は,地元住民を悩ませた。公衆衛生のための施策が首都の環境を悪化させるとは,皮肉なものだ。
リー・ジャクソン 寺西のぶ子(訳) (2016). 不潔都市ロンドン:ヴィクトリア朝の都市洗浄化大作戦 河出書房新社 pp.37-38
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