元凶となっていたのは汚泥で,道路を覆い,歩道にまで飛び散っていた。その正体は,畑の泥でもなければ,厩舎がある庭の泥でもなく,実は馬の糞が主体なのだが,色は黒い。煤で汚れた大気が,触れるものすべてを,道路の泥でさえも汚染していたからだ。また,ロンドンの泥は,「ブーツが脱げるほど」強くねばついたが,それは,ほとんどの車道の舗装に花崗岩を多く含む骨材,マカダムが使われていたためだ。マカダム舗装は,比較的安価で細かな石をぎっしりと敷き詰めるなど,いくつかの長所があったが,くぼみができやすく,轍がつきやすかった。削り取られた石の粉は湿った馬糞と混じり合い,ねっとりとした糊状になる。「溶け込んだ」砂粒は驚くべき量だった。シティ・オブ・ロンドンの医療担当者だったレゼビー博士は,12ヵ月にわたる調査の結果,乾燥させたロンドンの汚泥の成分を明らかにした。57パーセントが馬糞,30パーセントが削られた石,13パーセントが削られた鉄粉(鉄製の車輪や馬の蹄鉄から出た)だった。もちろん,泥の全体的な粘度には水分が極めて大きく関係しており,道路は「霧が出るとべたつき,靄で滑りやすくなり,小ぬか雨が降ると液状になった」。だが,最も雨が少ない夏でも悩みが消えるわけではなく,乾燥した泥の「コーヒー色の熱風」が吹き,衣服を汚し,目やのどを刺激した。
リー・ジャクソン 寺西のぶ子(訳) (2016). 不潔都市ロンドン:ヴィクトリア朝の都市洗浄化大作戦 河出書房新社 pp.43-44
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