この他にも,洗濯婦に「洗濯物を出す」というぜいたくな手段があり,19世紀の後期には,機械化された規模の大きな洗濯屋へ出すようになった。洗濯屋の利用にはお金がかかり,衛生問題の専門家に言わせれば非衛生的で危険だった。洗濯婦たちは自分の家で洗った洗濯物を裏庭で乾かしたが,そこは貧困者たちが使うごみ箱と水洗便所に近く,「最底辺の人々が頻繁に足を運ぶ」場所でもあった。そのような環境が天然痘などの病気を媒介するという報告がときおり出されたが,洗濯のビジネスにはほとんど影響がなかった。中産階級の主婦にとって,「洗濯屋に出した方がはるかに快適」なのは,逃れがたい事実だった。利点は多かった。使用人たちが流し場で丸一日,あるいはそれ以上の時間を使って,洗濯物を次々と懸命に洗い,煮沸し,すすぐ必要がなくなり,家の主は普段の快適さを奪われずにすみ(「ディナーは遅れ,ちゃんとした服もなく,洗濯中だから,と告げられる」),冬の数ヵ月間,家の中が乾燥中の服で溢れる「蒸気風呂」に変わることもなかった。
リー・ジャクソン 寺西のぶ子(訳) (2016). 不潔都市ロンドン:ヴィクトリア朝の都市洗浄化大作戦 河出書房新社 pp.204-205
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