少なくとも,裕福な人には選択肢があったわけだが,貧しい人々は,手と顔を洗う以外にほとんど何もできず,多くの者はそれさえしなかった(「世のなかには手と顔以外の部分を洗わずに一生をすごす人がいて,そうでない者はまれである」)。なかには,毎日の手洗いと洗顔を指導されると,不慣れな厄介ごとだと感じる者さえいた。ランカシャーで「禁酒ツアー」に参加した失業中の紡績工は,「一番ひどかった罰は,毎朝手と顔を洗わないといけなかったことだ」と述べている。入浴となるとさらに異質な行為だ。1848年,ロンドン各地の救貧院でコレラ患者の治療体制が整っているかどうかを調べる調査が行われたが,その報告書には入浴を嫌う多くの事例が記されていた。いくつかの救貧院は,入院希望者に入浴を義務づける規則が(温水をたっぷり使えるにもかかわらず),「希望者の数を減らす非常に効果的な方法のひとつだった」と報告している。身体の汚れはプライドでさえあった。1860年代,労働者のスポークスマンを自称していたトーマス・ライトは,労働者階級は「グレート・アンウウォッシュト」という言葉を受け入れるようになっていると主張した。汚れた手は,彼らと「カウンター・スキッパー」(商店の定員)のような,本物の肉体労働に携わっていない人とを区別する証だというのだ。
リー・ジャクソン 寺西のぶ子(訳) (2016). 不潔都市ロンドン:ヴィクトリア朝の都市洗浄化大作戦 河出書房新社 pp.206-207
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