草創期の大学が中世都市という母胎から生まれたものであるならば,学生と教師の協同組合として出発した大学がヨーロッパ全土に胚胎していった最大の存在は,中世的な意味での「自由な知識人」だった。この「自由」は,移動の自由と思考の自由という二重の意味での自由であった。まず,移動の自由についてみるならば,大学教育の全ヨーロッパ的画一性・共通性が,教師や学生の大学から大学への自由な移動を保証していた。どの地方の大学でも,使用言語はすべてラテン語,カリキュラムにも共通性が高かったから,学生も教師も異なる大学に移っても,それまで学んだことや身につけた教授法を生かしていくことができた。もっとも,大学と自由な知識人のどちらがどちらに先行するかを特定するのは不可能である。両者は鶏と卵の関係で,都市から都市へと移動する知識人たちこそが,大学を可能にしてもいた。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 36-37
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