それにしても,このような天皇のまなざしと国民の知性が遭遇する場所が,なぜ「帝国大学」と名づけられたのか。中山茂が考察したように,東京大学が帝国大学への大転換を遂げた1886年の時点では,「帝国」の呼称はまだまったく一般的ではなかった。たしかに明治初年代,岩倉使節団が日本に招待した学監デヴィッド・モルレーは,社交辞令か日本のことを盛んに「エンパイア」と呼んだが,これは普及しなかった。それでもモルレーが発する「エンパイア」の語は,文部省申報で「帝国」と訳され,これがこの言葉が公式文書に現れる最初となったらしい。しかし,日進・日露戦争以前の多くの日本人にとって,「帝国」という言葉はなじみの薄い言葉であった。周知のように89年には大日本帝国憲法が発布されるから,90年代以降は,「帝国」は「帝国議会」などの言葉とともに徐々に日本人の意識に入り込んでいくともいえる。しかし,帝国議会よりも三年も早くに「帝国大学」は誕生しているのだ。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 138
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