大学化への布石を最初に打ったのは慶應義塾で,同校は90年に「大学部」を設置する。ところが当時,幼稚舎,普通部の初等中等教育を経た若者たちの多くはそのまま実業の世界に出て,大学部で専門教育を受ける者は少なかったから,この試みは苦戦する。福沢は,しかし不振でも大学部を廃止するのではなく,むしろ逆に義塾全体の大学化,つまり幼稚舎や普通部の上に付随的に大学部が乗る構造から,大学部を本体とし,その下に普通部や幼稚舎が付属する構造に教育課程を転換させてしまうのである。この大転換が行われるのは1898年で,以来,「慶應義塾」は「慶應大学」へと段階的に移行していく。これに対し,自らを帝国大学に比せられる「大学」と最初に宣言したのは東京専門学校であった。同校は1900年に高田早苗を学監として大学化構想を打ち出し,2年後には「早稲田大学」への名称変更を政府に認めさせる。この「大学」化に伴い,早稲田は教育課程を「大学部」と「専門学部」に分け,大学部の下に予科を設けて帝国大学に似た課程の編成を整えていった。そしてやがて,この早慶両雄の大学化に倣うように,他の多くの私学が背伸びをしながら「大学化」を図っていく。
吉見俊哉 (2011). 大学とは何か 岩波書店 pp. 160-161
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