ここでちょうどいいからふれておこう。人類の祖先をめぐる問題には,客観科学や公平な真理の追究よりも,思想的な側面から多くの関心が集まっていた。とくに19世紀後半から20世紀初めごろは,私たち人類およびその祖先は種という山の頂上にいなければならないと考えられていた。われわれはもっとも賢い種でなければならない。われわれは特別で,強靭で,ほかの動物たちの上に君臨していなければならない。そして,きわめて重要な点だが,人間も,ヨーロッパ人種を頂点とする階層に従って位置づけなければならないとも考えられていた。自然選択の考えを通して進化の理論をまとめあげたダーウィンは,自然の法則に従って,人間を他の動物と同じように動物界のなかにおさめた。けれども,そのダーウィンでさえ,人間と類人猿(人間に最も近い現生する親戚)とでは,精神と知性の面で雲泥の差があると考え,「最低の人間の精神と最高の動物のそれとの間には計り知れない隔たりがある。これには疑いを挟む余地がない」と書き残している。当時,生体と行動という点であらゆる人間と動物とを分けていたのは,大きな脳の存在だった。19世紀後半の理論家たちは,現代人の脳に備わっている灰白質の量をもって真の人間の特徴ととらえ,大きな脳という期待にそうような初期ヒト科の化石を探していたのである。
ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 伊藤伸子(訳) (2007). ヒトは食べられて進化した 化学同人 pp. 26-27
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