そしてこのことを非常に大がかりにやったのが,「バシー海峡」であった。ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこへ来るといえば,これまた反射的にそこへ兵力をもっていく。そして沈められれば沈められるだけ,さらに次々と大量に船と兵員を投入して「死へのベルトコンベア」に乗せてしまう。
それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり,この際,ひるがえって自らの意図を再確認し,新しい方法論を探究し,それに基づく組織を新たに作りなおそうとはしない。むしろ逆になり,そういう弱気は許されず,そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。従って相手には,日本の出方は手にとるようにわかるから,ただ「バシー海峡」で待っていればよい,ということになってしまう。
この傾向は,日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから,ルバング島の小野田少尉の捜索,また別の方向では毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し,戦後の典型的同一例をあげれば「60年安保」で,これは,同一方法・同一方向へとただデモの数をますという繰り返し的拡大にのみ終始し,その極限で一挙に崩壊している。
山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 Pp.66-67
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