人間にとって,「苦しかったこと」の思い出は,必ずしも苦痛ではない。否,むしろ楽しい場合さえある。老人が昔の苦労を語りたがり,軍人が戦場の苦労を楽しげに語るのは,ともにこの例証である。従って,人にとって「思い出すのもいやなこと」は,必ずしも直接的な苦しみではない。
結果的には,自分にとって何ら具体的な痛みではなかったことでも,それがその人間にとって最も深い「精神の創(きず)」,永遠に癒えず,ちょっと触れられただけで,時には精神の平衡を失うほどの痛みを感じさせられる創になっている場合も少なくない。
以上のことは,人が,そのことを全く語らないということではない。語っても,その本当の創には,本能的に触れずに語る。収容所のリンチについては時としては語られることはあっても,それを語る人は,なぜそれがあり,自分がなぜ黙ってそれを見ていたのかは,語らない。そして,だれかがその点にふれると,次の瞬間に出てくるのはヒステリカルな弁明であっても,なぜその事態が生じたかの,冷静な言葉ではない。
時には一見冷静な分析のように見えるものもある。だがそれを仔細に検討すれば,結局は一種の責任転嫁----戦争が悪い,収容所が悪い,米軍が悪い,ソヴェト軍が悪い,等々である。しかし,同じ状態に陥った他民族が,同じ状態を現出したわけではない,また同じ日本人の収容所生活でも,常に同一の状態だったわけではない,という事実を無視して----。
山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 Pp.107-108
PR