連邦の崩壊はまた,テキサスのメキシコ領の発展とも関連があった。メキシコ側からの招きもあって,テキサスには多くのアメリカ人が移り住むようになっていた。1830年には,綿花栽培に従事する白人二万人と約二千人の奴隷がいたとされる。メキシコ人の人口を上回るには,さして時間はかからなかった。しかしながら,メキシコでは奴隷は禁止されていたこと,そして移住したアメリカ人は国籍を変える意思は無かったことから,メキシコ側にテキサスを独立した領地として認めるように申請した。
メキシコ政府は,当然のことながらこの要望をしりぞけた。1836年,テキサス在住のアメリカ人がテキサス共和国の独立を目指して反乱を起こすと,メキシコ総督サンタ・アナは三千人の大軍を率いてサンアントニオを拠点とする「反逆者」の退治に当たった。アラモ砦にたてこもった187人の独立軍兵士は数日間にわたる激しい戦闘に耐えたが,圧倒的な兵力を誇るメキシコ軍の攻勢に耐えかね,玉砕という悲劇の結末を迎えることとなった。
ジェームス・M・バーダマン 森本豊富(訳) (1995). アメリカ南部:大国の内なる異郷 講談社 pp. 69-70
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