日本刀対日本刀なら,もちろん武芸だけで優劣がきまる。同じことは小銃についてもいえ,双方三八式歩兵銃なら,“銃芸”のまさっている方が勝つ。また両者同一芸なら数の多い方が勝つ。芸が同じでまた数が同数なら,数の“運用”が巧みな方が勝つ。これはきまりきった原則であり,要は,この要素の組み合わせ方とこれを習熟する訓練だけで勝敗がきまることになる。
従ってもしこの“芸”がTさんのチャンドラにおける“印刷芸”のように極致にまで達すれば,三八式歩兵銃一丁は優に軽機に対抗できるであろう。そしてそういった“芸の極致”の数の運用もまた“芸の極致”に達していれば,家康の小牧・長久手の勝利と同じような形となり,三八式歩兵銃しかもたぬ一個大隊が重・軽機をもつ一個連隊を敗走させうることもあるであろう。そして,歩兵も砲兵もみなその極致に達すれば,その軍隊は無敵であろう。これがいわば陸軍の公式的発想の基本である。
そしてそこにあるものはやはり,徳川鎖国時代から一貫して流れている伝統であった。そして,これを伝統と考えて客体化して再把握するに至っていないことが,この行き方への盲従となり,絶対化となった。
今でも,日本軍は強かったと主張する人の基本的な考え方は,この伝統的発想に基づいており,しかもそれが伝統的な発想のパターンに属する一発想にすぎないと思わずに絶対化している。そして,後述するように,日本の敗戦を批判する者も,実は,同じ発想に基づいて批判しているのである。
この伝統的行き方は,一面,陸軍の宿命だったともいえる。というのは,上記の伝統を最も継承しやすいのが,徳川的伝統的思考とその戦闘技術を不知不識のうちに摂取せざるを得なかった陸軍であったこと,そして同時に,日本の国力と石油資源の皆無はその大規模な機械化を不可能にしたため,否応なく外的制約が固定せざるを得なかったことにある。
陸軍の散兵線は,昭和12年ごろまで,日露戦争当時と全く同じの,人間距離六歩の一線の散兵線方式をとっていた。簡単にいえば,チャンドラを変え得ないから,それを活用する方式を変え得ず,その制約の中で“芸”をみがくという行き方しかできなかったわけである。
山本七平 (2004). 日本はなぜ敗れるのか----敗因21ヵ条 角川書店 Pp.184-185
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