読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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このような相違は,「残酷」という言葉の意味・内容が,日本人とヨーロッパ人とではまるでちがうからである。動物愛護というと,日本人は,ともすれば,動物を人間と同じように扱い,動物を絶対に殺さないことだ,と考えやすい。なかには菜食主義を動物愛護の極致だと主張したりする人もたくさんある。
欧米諸国の動物愛護運動は,そうではない。そこでは動物を殺すこと自体はけっして残酷ではない。残酷なのは不必要な苦痛をあたえることである。たとえば,「国際動物愛護協会」(ISPA)の設立趣意書には,つぎのような一節がある。
老齢,疾病,無能その他で役にたたなくなった家畜を遺棄してはならない。獣医のてきとうな治療にまかせるべきである。そして,休息の場を与えるか,それができなければ安楽死さすべきである。
事実,ヨーロッパ人なら,飼犬などの面倒をみきれなくなると,あっさりと殺してしまう。しかし,日本人はちがう。殺すのは残酷だと考え,だれかが拾ってくれるのをあてにして,生かしたまま捨てる。その結果は野犬の増加である。ヨーロッパ人にはこれがわからないという。かれらにとって,飼犬を野犬にするぐらい残酷なことはないのである。ちなみに,欧米諸国の動物愛護団体は,動物を安楽死さすための獣医をかかえているのがふつうである。
鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 55-56