読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。
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日本にも,ヨーロッパの村落共同体に似たものはあった。しかし,そこでは,個々の農家の独立性ははるかに高い。水田の場合は,地力を落とさないためには,休耕どころか,逆に,毎年連作する方が望ましい。そうしないと,雑草が繁茂して,水田はたちまち荒廃する。だから,水田の安定度は高く,はやくから個別占取の対象であった。比較的高い穀物生産力水準が維持できたのは,第一次的には,むかしから耕作を欠かさずにきた「ご先祖さま」の努力のおかげである。村落共同体は,水利灌漑,共同林野の利用など,いわば第二次的関係において,個別的な農民経営に介入するにすぎない。日本で家族意識や祖先崇拝が根づよく温存されたのは,一つには,そのせいではなかろうか。
これに対して,もともと耕地の不安定なヨーロッパでは,日本とちがって,「これこそ先祖伝来の田畑」といった観念は,なかなかでてこない。そこでは,毎年穀物生産のつづけられることをだれかに感謝しなければならないとすれば,その相手は死んでしまった過去の祖先ではない。現在すぐ近くに居住し,たえず接触している村の仲間であった。「死んだ祖先」より「生きている村の仲間」の方がはるかにだいじであった。だから,ヨーロッパ人は,なかなか,日本人の「祖先との一体感」や「祖先崇拝」を理解できない。
鯖田豊之 (1966). 肉食の思想 中央公論社 pp. 127-128