ここでちょっと「子供を持ったことを後悔している」などと検索することの意味を考えてみよう。グーグル自体は情報を調べる手段として存在している。天気予報や昨晩の試合結果,自由の女神はいつ建てられたのかなどだ。だが時に人は,たいして期待もせずに赤裸々な思いを検索ボックスに打ち込む。この場合,検索ボックスはいわば告解の場だ。
毎年,こうした検索は膨大な数に上る。「寒い季節は嫌いだ」とか「どいつもこいつもウザい」とか「寂しいわ」などだ。もちろんこうした数千件程度の「寂しいわ」検索は,実際に寂寥をかこっている数億人のごく一部が行っているに過ぎない。情報の代わりに考えや感情を検索することは,私が調べたところ,そんな考えを抱いたごく一部に限られている。同様に米国で「子供を持ったことを後悔している」と検索する年に7000人の人々も,私の調査によれば,そう感じている人々のごく一部だ。
子供は多くの人にとって,いやおそらくほとんどの人にとって,大きな喜びをもたらす。そして私の母は,「あんたとあんたのバカげたデータ分析」のせいで孫の数が減ってしまうのではと恐れているが,この研究は別に私の子供を持ちたいという願望を変えていない。だが子供を持つことをめぐるこの不穏当な検索は興味深い。そして旧来のデータセットには見られない人間性の一側面を示す証拠の一つだ。我々の文化は,常に幸福な赤ちゃん像で満ちている。たいていの人は,子供を持つことを後悔をもたらすものとは考えないだろう。だがそんな人もいるのだ。そして彼らは誰にもそれを認めないが,グーグルに対してだけは別なのだ。
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介(訳) (2018). 誰もが嘘をついている:ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性 光文社 pp. 130-131
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