現代の視点に立てば,ピアソンは少々矛盾した人物だったように思われる。彼は当時の多くの人とは異なり,男女は社会的にも知的にも等しく扱われるべきだと考えていた。だがその一方で,統計的手法を利用して人種の優劣を主張したり,児童労働を禁じる法律のせいで子供たちが社会的・経済的重荷となっていると訴えたりもした。こうした見解はどれも,今日では道徳にもとるように聞こえる。それにもかかわらず,ピアソンの研究は大きな影響力を振るい続けてきた。1911年にゴールトンが没してまもなく,ピアソンはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに世界初の統計学科を創設した。また,ゴールトンが『ネイチャー』誌に送った図をもとにして,「重回帰」の手法を構築した。つまり,影響を与えうる要因が複数あるとき,それぞれが結果とどのような相関関係にあるのかを明らかにする方法を編み出したのだ。
アダム・クチャルスキー 柴田裕之(訳) (2017). 完全無欠の賭け:科学がギャンブルを征服する 草思社 pp. 83-84
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