老犬に新しい芸を仕込むのは難しい。コミュニケーション,情報アクセス,娯楽などにおいてまったく新しい方法を学ぶのは困難な作業だ。そして,新しいテクノロジーに順応するためには,すでに確立した思考パターンを変更する必要がある。今日では,旧世代の大部分もテクノロジーをうまく使いこなせるようになってはいる。しかし,使いこなせるようになるまでの行動がどのようなものであるかを覚えている人は少ないだろう。パソコンが最初に登場した時に,旧世代がそれを使いこなせなかったことで生まれた逸話は多数ある。実際,冗談としか思えないようなとんでもない話も数多い。マウスが足踏みペダルだと思った人から,うまく使えないという報告を受けたヘルプデスクの話がある。フロッピーディスクをコピーしてくれと頼まれて,コピー機でコピーを取ってきた秘書の話もある。“Hit any Key”というメッセージを文字通り受け取り,キーボードを叩いて壊した人もいる。サポートスタッフにウィンドウズを使っているかと聞かれて,「この部屋に窓はない」と答えた人もいる。修正液でフロッピー上のデータを消去しようとして人もいる。このような話は枚挙に暇がない。私の友人は,マウスをコンピュータの画面に向け,あたかもテレビのリモコンであるかのように操作しようとした。このような出来事から何を学ぶことができるだろうか。大人とは愚かな存在であるということだろうか。
これらの大人たちの行動は笑えるものではあるが,十分理解できる。ベビーブーム世代は,テレビのリモコン,フットペダル,コピー機,窓,修正液,ドアなどに慣れている。これらは生活の中に何十年間も存在し,その使い方が頭に染みこんでいる。一方,ネット世代には過去の蓄積が少ない。ゆえに,デジタルメディアを容易に吸収することができる。
コンピュータ科学者のアラン・ケイは「(テクノロジーは)発明される前に生まれた人にとってのみテクノロジーとして意識される」と述べている。学習とテクノロジーに関する研究のパイオニアであるセイモア・パパート教授もこれに同意し,「これが,ピアノがテクノロジーで音楽を破壊したか否かを我々が議論しない理由だ」と述べている。
ドン・タプスコット 栗原潔(訳) (2009). デジタルネイティブが世界を変える 翔泳社 pp.30-31
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