だったら,「株式運用のプロ」っていったいなんだ?
それを知るには,プロのいないゲームを考えてみればいい。たとえば,コイン投げのプロというのは原理的に存在しない。コインが表か裏かは偶然によって決まり,その確率は(イカサマでなければ)五分五分だからだ。宝くじのプロがいない理由も同じで,当せん番号は偶然によって決まるのだから,1等の出る売り場とか,当たりやすい数字の組み合わせなどはすべて迷信である(あやしげな宝くじ必勝法を売りつける「プロ」ならいる)。
コイン投げや宝くじにかぎらず,ルーレットやサイコロなど,勝敗が偶然によって決まるゲームにプロはいない。それに対して囲碁や将棋では,プロとアマチュアのあいだに乗り越えがたい力量の差が生じる。そこでは強い者ほど勝率が高く,偶然の要素はわずかしかはたらかない。これはスポーツ競技も同じで,だからこそひとびとは「奇跡」を求めて熱狂するのだ。
ここで,株式投資の本質がある。
20代無職の男性が「金融のプロ」を天文学的なレベルで上回る成績をあげたということは,株がプロの競技ではなく,コイン投げやサイコロにちかい偶然のゲーム,すなわちギャンブルであることを,反論の余地がないほど完璧に証明しているのだ。
橘 玲 (2006). 臆病者のための株入門 文藝春秋 pp.17-18.
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