さて,ここで問いたいのは能力や性質がそれだけで存在することがありうるのか,ということである。
包丁は切る力を持っているという言い方は,ちょっと変だが可能である。「切れる」包丁とか「切れが良い」包丁という言い方もできる。前者の言い方が能力的な言い方で後者の言い方が性質的な言い方である。さて,ある包丁が目の前にあるときに,それが「切れる」かどうか「切る能力」を持つかどうかはどうすればわかるのだろうか。
使ってみるしかない。魚などを切ってみるしかない。極端な話,プラスチックや紙で作られたおもちゃの包丁という可能性だってある。切ってみて初めて「切れる」かどうかがわかる。
その一方,本物の包丁で食べ物ではなく鉄板などを切ろうと思っても切ることはできない。しょせん「刃がたたない」のである。
包丁の能力・性質は実際に魚なり何なりを切ろうとしてみなければわからない。結果を見なければわからないのである。包丁がなければもちろん切れないが,かといって包丁そのものの中に「切る力」が備わっているわけではない。「切る」という行為を行う中で,その力が発揮されているにすぎないのである。切る力(能力)は,切るモノと切られるモノ(ついでに言えばそれを使う人)すべての条件が揃った時のみに出現する。私たちは成長の過程で道具の使い方を覚えてきたために(たとえば紙を切る時に包丁を使って「切れないなあ」と言う大人はいないだろう),ある能力をある道具に固有のものとして見てしまう。そしてそのような見方が「能力」「性質」という考え方を生み出すのである。
サトウタツヤ (2006). IQを問う 知能指数の問題と展開 ブレーン出版 p.153-154.
PR