また,幸せが運によって決まるという意識があれば,それがアクティブに追求できる類のものではないという認識に繋がるであろう。実際,実験的に設定した課題で,アメリカ人の学生は「幸せ」や「楽しみ」を増すような選択をするという結果が出ている。たとえば大石とディーナーは,被験者に実験室に来てもらい,バスケットボールのフリースロー課題を与えて,10回のフリースローをどれくらい楽しむかを測定した。1週間後に実験室に戻ってきてもらった際には,もう1度フリースローにするか,あるいはダーツゲームをするかという選択肢を与えた。すると,欧州系アメリカ人では,最初のフリースローを楽しんだ人は再度フリースローを選び,あまり楽しまなかった人はダーツゲームに変更した。その結果,全体として2回目のほうが1回目より課題を楽しんだという結果が見られた。ところがアジア系アメリカ人では,そのような傾向は見られなかった。つまり,楽しみを最大限にするという選び方をしているのではなく,1つの課題をマスターするという選び方をしている人がかなりいたということが推測される。アメリカ人の間では,挨拶代わりに「ハブ・ファン(楽しんでね)」という常套句が使われるが,これも楽しみ,幸せ感を最大限にすることが日常生活でのモチベーションとして作用している証であるように思われる。日本だと,同様の状況で「がんばってね」といったところであろうか。
大石繁宏 (2009). 幸せを科学する:心理学からわかったこと 新曜社 pp.39-40
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