ピアジェは神童だった。1896年8月9日,スイスのヌーシャテルに生まれ,早くから生物学に関心を示した。10歳の時,公園で見つけたアルビノのスズメについて博物学雑誌に寄稿したのが,その後の多彩な叙述活動の始まりである。15歳から18歳にかけて,軟体動物に関する文章を積極的に発表したことが評価され,ジュネーブの自然史博物館で,軟体動物コレクションの学芸員にならないかと誘われたこともある(ハイスクールも終えていなかったので断ったが)。生物学で博士号を取ったのは21歳で,その後興味は心理学へと向かった。チューリヒで勉強を続け,やがてパリのソルボンヌ大学に学び,1920年にはビネ研究室でテオフィル・シモンと並ぶ地位に就いた。シモンとアルフレッド・ビネがビネ=シモン知能テストを開発したとき,ピアジェは知能テストの項目標準化の手伝いをしている。
伝説によると,テスト項目を調べていたピアジェが強い興味を示したのは,子どもたちが正解したときではなく,まちがったときの反応だったという。年齢によって,頭の回転だけでなく,考え方の質も違っていた。ピアジェは子どもの思考についての論文を発表するようになり,ジュネーブにあるジャン・ジャック・ルソー研究所に地位を得てからも,認識発達の研究を続けた。ピアジェは,ライフワークとして,数多くの著作で自分なりの認識発達論を展開していったが,生物学での蓄積を完全に捨て去ったわけではない。子どもの環境適応方法を強調したその姿勢は,生物学的,進化論的なプロセスの影響を強く受けていた。それによると,子どもは成長とともにいくつかの認識段階をくぐり,12歳ぐらいには最終的な「形式的操作段階」に到達するという。この段階になると,子どもは抽象的思考,つまり言葉や論理表現だけで思考できるようになる。
スチュアート・A・ヴァイス (1999). 人はなぜ迷信を信じるのか 思いこみの心理学 朝日新聞社 p.215
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