過去が何らかの指針になるのなら,誤った探究の道は奨励すべきだし,少なくとも大目に見るべきである。経験的なレベルでは,ロンドンの英国学士院の初期の会員の何人かが,今日の基礎科学の一部をなす科学上の発見をしつつあった一方で,他の人びとは,理論や目的がまったくない作業に従事していた。そしてそれゆえ,じつにイヴォン・Xが科学的方法の純粋主義的な唱道者のように思えるのだ。たとえば,1616年7月24日付の学士院の実験ノートに,こんなくだりがある。「一角獣の角の粉で円を描き,その中央にクモを一匹置いた。しかし,それはたちどころに走りでて,何度か繰り返しても同様だった。クモは一度,粉の上でしばらく留まっていた」
先に触れたとおり,ニュートンは膨大な時間を費やして錬金術に没頭した。彼の実験助手をつとめたハンフリー・ニュートン(血縁関係はないらしい)の報告によると,この偉大な男は,徹夜で秘法の教本を読みふけり,卑金属を黄金に変えようとした——現代の大学カリキュラムに描かれた,きまじめな理性主義のお手本にはほど遠い姿だ。ニュートンは繰り返し言っている。著書『プリンキピア』に出てくる数式は,文明の黎明期の神秘主義哲学者という選ばれた集団に向けて神が啓示した普遍的な真理である,と。彼はその秘法の伝統の継承者を自認していた——現代の科学者たちが都合よく闇に追いやった,彼の思想のもう1つの側面である。
デイヴィッド・ウィークス,ジェイミー・ジェイムズ 忠平美幸(訳) (1998). 変わった人たちの気になる日常 草思社 pp.100-101
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