私が思うに,創造性というのは,効率的で感情移入的な問題解決である。この系統だった過程において感情移入がはたす役割は,個人と問題との交流を象徴することである(私は「問題」という言葉を,ゲスリンがそうしたように,大まかな意味で使っている。ある芸術家にとっての問題とは,1個のリンゴをどう描くか,ということかもしれないのだ)。創造的な人間は,自分の視点を問題のなかに移入し,持ち前の知性と性格にある何かでその問題をつぶさに調べ,そこから見通しを導きだしさえする。彼は,問題の難解さそのものと自己を同化させる。ジョルジュ・ブラックは,同じような概念を別の言葉で簡潔に説明している。「人は,対象物をただ描くだけではいけない。そのなかに入りこみ,自身が対象物にならなくてはいけない」
この,問題への完全な没入が意味しているのは,どうしても理解したいというひじょうに強い,底なしの関心があることである。場合によっては,それに起因する行動が,一般の基準にくらべて行きすぎと思われることもある。たとえば,日系カナダ人の建築家キヨシ・イズミは,精神分裂病患者用の病院を設計したとき,そこで生活することになる人びとの知覚的なひずみを理解するために,分裂病とよく似たいくつかの効果が得られるLSDを服用した。この完全な没入という現象は,奇人に特有のものである。極端に走ることこそ,ほとんどの奇人たちが唯一,進みかたを知っている道なのだ。
デイヴィッド・ウィークス,ジェイミー・ジェイムズ 忠平美幸(訳) (1998). 変わった人たちの気になる日常 草思社 p.72
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