操作的定義の極端な例としてよく登場するのが,「知能とは知能テストで測定されるものである」という知能の定義である。心理学を初めて学ぶとき,この定義は非常に驚くべきものに感じられる。論理が逆転してみえるからである。つまり,知能を定義してからでないと,知能テストは作れないのではないだろうか。全くそのとおりであるが,「知能」という概念が整理され,知能研究者によってある程度の合意が得られれば,最終的な定義は測定方法によるのがもっとも望ましいのである。それによって,同じ概念が異なった意味で用いられることが回避できるからである。たとえば,数学的能力にすぐれた子供には,特殊な早期教育のチャンスを与えて,才能を開花させたほうがいいという意見があるとする。このときもっとも問題となるのは,「数学的能力にすぐれた子供」の定義である。これをきちんと定義するもっともよい方法は,たくさんの子供に対して全く同一の数学のテストを実施して,たとえば成績上位5%の範囲を「数学的能力に優れた子供」と定義することである。これが操作的定義である。このように,測定方法によって測定対象を定義するということは,極めて有用である。操作的定義は概念の公共性を保証するため,科学の多くの分野で用いられる。たとえば「1メートル」の定義は「メートル原器」という物差しによって定義されている。新行動主義者たちは,もともと物理学分野で提唱されていたこの「操作主義」を積極的に心理学に導入し,心理学で使用される諸概念を洗練させようとしたのである。
道又 爾 (2009). 心理学入門一歩手前:「心の科学」のパラドックス 勁草書房 pp.136-137
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