だから,原理はできるだけ単純で自明のものが望ましいのである。誰でも納得できるものが還元すべき既知のものとしては最適である。しかし,それは「わかる」ものとは限らない。というよりむしろ,分けることのできないもの,わからないものである。しかし,それを追い求めた究極にあるものは,いま手許にはないかもしれないが,かつては持っていたもの,ないし,かつては身近に自分もそのもとにあったものと考えることができる。
いまはないにしても,追求する限りにおいて彼方にあるもの,ないしは,あったものを,われわれはいま持っている。これは「理念」と呼ばれる。プラトンがイデアと呼んだものである。芸術家が自分の理想とする作品を作ろうと努力して到達しえないとき,めざしている理想的なものはイデアである。技術者が完全なものをつくろうと努力して,到達しえないであろうけれども,彼が制作の過程で抱いている完全なものがイデアである。幾何学者は,感性的な世界には存在しえない直線や図形や比をあつかっている。彼のあつかう対象はイデアである。
坂本賢三 (2006). 「分ける」こと「わかる」こと 講談社 pp.61-62
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