つまり,僕らはいつも,妙な癖を持ったこの目で世界を眺めて,そして,その歪められた世界に長く住んできたから,もはや今となってはこれが当たり前の世界で,だから,これが自分では「正しい」と思っている。そういう経験の「記憶」が正しさを決めている。
この意味で言えば,「正しい」か「間違っている」かという基準は,「どれだけそれに慣れているか」という基準に置き換えてもよい。つまり,僕らの「記憶」を形成するのに要した時間に依存する。だから,そもそも「正しい」「間違い」なんていう絶対的な基準はないんだ。
たとえば,シマウマという動物がいるよね。あれはどんな模様している?白地に黒シマの模様,それとも黒地に白シマ模様?こう訊くと,多くの人は「白地に黒シマ」と答える。でもね,現地のアフリカの人に訊くと,「黒地に白シマ」って答えるんだな。意外でしょ。でも,理由はわかるよね。肌の色だ。彼らにとっては,地肌というものは黒色なわけで,「白」こそが飾り模様の色なんだ。黄色人種や白色人種とは発想が逆になるよね。
もし自分の個人的な価値基準を,正誤の基準だと勘違いしちゃうと,それはいわゆる「差別」を生んでしまう。残念ながら,人間って自分の感じる世界を無条件に「正しい」と思いがちだよね。この癖には慎重に対処しないといけない。そう,謙虚にならないと。
池谷裕二 (2009). 単純な脳,複雑な脳:または,自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義 朝日出版社 p112.
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