いまだにきちんとした科学的な裏づけのない発達障害の「奇跡的治療」が喧伝されることがあるのは,この点の誤解にあるのではないかと思う。「○○療法」によって劇的に改善した,といったレポートがテレビで放映されると,筆者の外来にも,その是非を巡って質問をされるご家族が必ずいる。筆者は次のように答えるのが常である。
「お子さん自身を振り返ってください。この何年かで,ずいぶん成長をしなかったですか?もしカメラを,初診のとき,半年後,1年後と回して記録を取っていれば,テレビレポートもびっくりの大きな発達をしているでしょう」
すると「そういわれてみればそうですね」と応じられて,この話はそれで終了となる。
このような子どもならではの特殊性があるために,ほとんどの発達障害について,精神医学では慎重な定義が作られてきた。大部分では,診断基準に「その発達の問題によって社会的な適応が損なわれているもののみを障害とする」という除外項目が付加されているのである。生来の素因を持って生じた発達障害に対して,さまざまなサポートや教育を行い,健全なそだちを支えることによって,社会的な適応障害を防ぎ,障害ではなくなるところに,発達障害の治療や教育の目的がある。
子どもを正常か異常かという二群分けを行い,発達障害を持つ児童は異常と考えるのは今や完全な誤りである。発達障害とは,個別の配慮を必要とするか否かという判断において,個別の配慮をしたほうがより良い発達が期待できることを意味しているのである。
杉山登志郎 (2007). 発達障害の子どもたち 講談社 pp.44-45
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