激烈な出来事は,概して激烈な原因を暗示しているのだろうか?あらゆる劇的な絶滅には,同様に劇的な原因があるのだろうか?我々は前の方の章で,こういった先入観が最近覆されつつあるということを,地震や森林火災を例にとって見てきた。大量絶滅に関するこの驚くほど単純な傾向から考えると,科学者たちがこれらの「きわだった」出来事を特別のものと考えてきたのは,大きな誤りだったようだ。時間軸に沿ってデータを並べ,いつ絶滅が起こり,その規模はどれほどだったのかを見てみると,大きな山がきわだって見え,何か「明らかに」特別なことが起こったと思えてしまうのも確かである。しかし同じ記録を違った形で表わせば,実際は大規模な出来事は何も特別なものでないことが分かる。べき乗則による見方をすると,大量絶滅は進化の仕組みのなかで例外的な出来事ではないことに気づく。大量絶滅は,はるかかなたから振り下ろされた神の拳の跡などではなく,進化のもっともありふれた原理にもとづく必然の産物だったのである。
マーク・ブキャナン 水谷 淳(訳) (2009). 歴史は「べき乗則」で動く:種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 早川書房 pp.188-189
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